礼拝次第・説教要約
2025年9月28日 第四主日礼拝
前 奏
招 き ヨハネ14:6
賛 美 讃美歌 546「聖なるかな」
主の祈
交 読 交読詩編61編
賛 美 讃美歌 79「ほめたたえよ、つくりぬしを」
祈 り
賛 美 讃美歌 344「とらえたまえ、わが身を」
聖 書 詩編25編1節~22節(「新共同訳」旧約855頁)
説 教 「道がある」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 522「みちにゆきくれし」
献 金
賛 美 讃美歌 543「主イエスのめぐみよ」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
主よ、あなたの道をわたしに示し
あなたに従う道を教えてください。― 詩編25:4
《本日(2025年9月28日)のメッセージ要約》詩編25編1~22節「道がある」
この詩には「道」という言葉が印象的に用いられています。道は、行き来する場所、目的地に向かって通過するところを表しますが、そこに「従う」「選ぶべき」などの形容詞がつくと、道そのものが意味のあるものとなり、生きることに欠かすことのできないもののことを表します。「主よ、あなたの道をわたしに示し、あなたに従う道を教えてください。」(4節)とありますが、主と共に生きるということが私の今を形づくっていることを思い、いつも神様に心を向けて歩んでいくこと、そのことを願う言葉となっています。神様の導きがなければ今生きてはおらず、このようにして祈ることもできていない、それゆえ「あなたのまことにわたしを導いてください。教えてください、あなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。」と告白したのでした。その言葉は、自分が主の道から外れて歩んでしまうものであることを打ち明ける言葉でもあります。かつての罪と背き、今もなお罪深い自分自身の姿を覚える、そのことを痛切に感じているからこそ、神様に心を高く上げ、神様に自らを打ち明けているのです。苦難を強いてくる敵を取り除いてほしいということよりも、自分が神様のもとへと通じる道に日々立ち帰って歩むことができるようにと、自分を神様に捧げ、祈ったのでした。
主イエスは話されました。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネによる福音書14章6節)主の道がある、そこにおいてイエスこそが私の主であるとの真理を得、私は神様のもとで永遠の命に生きていると知らされる、そのことへと主イエスは私たちを招いてくださいます。 丸茂 誠
2025年9月21日 第三主日礼拝
前 奏
招 き Ⅱコリント4:6
賛 美 讃美歌21 26「グロリア、グロリア、グロリア」
主の祈
交 読 交読詩編85篇
賛 美 讃美歌21 17「聖なる主の美しさと」
祈 り
賛 美 讃美歌21 502「光のある間に」
聖 書 詩編19編1節~15節(「新共同訳」旧約850頁)
説 教 「星の声」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌21 516「主の招く声が」
献 金
賛 美 讃美歌21 28「み栄えあれや」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
天は神の栄光を物語り
大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え
夜は夜に知識を送る。 ― 詩編19:2,3
《本日(2025年9月21日)のメッセージ要約》詩編19編1~15節「星の声」
8節からのところには「主の律法」、「主の定め」、「主の命令」、「主の戒め」と記されていまして、律法のことを様々な言葉で言い換えていますが、その言葉はどれも、神様の言葉、神様からの教えを示す言葉として表されています。8節には「主の律法は完全で」とありますが、主の律法が完全であるのは、それが主の言葉であるからです。神様の御言葉によって天地が創造されたゆえに、神様からの語りかけによって私たちは存在している、神様の言葉で満たされているということを告白しています。神様の言葉によって生きている、このことを受け取るとき、詩の作者は気づかされたことがあったようです。13節14節です。「知らずに犯した過ち、隠れた罪から、どうかわたしを清めてください。あなたの僕を驕りから引き離し、支配されないようにしてください。そうすれば、重い背きの罪から清められ、わたしは完全になるでしょう。」自分が自分の主であると思い、己を中心に物事を図っていく、そうした「知らずに犯した過ち、隠れた罪」に気づかされつつ、完全になることを神様に委ね、祈り求めています。「完全になる」というのは、神様の言葉で満たされる、ということを示します。自らの力によって人格の完全性や罪のない状態を目指すのではなく、神様によって与えられるところにある状態を望む言葉です。そのことが15節では「主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ」と表されています。過ちや罪から自由になれない私のことを、神様は贖い、自由を与えてくださる、このことを見つめ、神様をこそ求め、神様に依り頼む言葉として「わたしは完全になるでしょう」と告白されています。神様の言葉に満たされて完全になること、そのことを祈り求めた言葉が捧げられているのです。 丸茂 誠
2025年9月14日 第二主日礼拝
前 奏
招 き イザヤ42:6
賛 美 讃美歌 539「あめつちこぞりて」
主の祈
交 読 交読詩編47編
賛 美 讃美歌 7「主のみいつとみさかえとを」
祈 り
賛 美 讃美歌 421「み神のみむねは」
聖 書 詩編13編1節~6節(「新共同訳」旧約844頁)
説 教 「わたしの心は」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 352「あめなるよろこび」
献 金
賛 美 讃美歌 542「世をこぞりて」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
あなたの慈しみに依り頼みます。
わたしの心は御救いに喜び躍り
主に向かって歌います。
「主はわたしに報いてくださった」と。― 詩編13:6
《本日(2025年9月14日)のメッセージ要約》詩編13編1~6節「わたしの心は」
詩編13編は、救いを求める祈りの詩となっています。 祈りは神様への信頼と希望を寄せる言葉をもって結ばれています。神様への信頼は「あなたの慈しみに依り頼みます」という言葉に言い表されます。どのようなことがあっても、誰が何と言っても、私は神様が愛してくれることを信じました、そのように告白されています。困難の中で神様に忘れられ、見捨てられたかもしれないと思ってしまう中にあっても、神様のもとに私は存在し、神様だけが私に光を与えてくださる方にほかならないのだから、神様に依り頼むのであると述べられています。その上で、続く言葉に「わたしの心は御救いに喜び躍り、主に向かって歌います『主はわたしに報いてくださった』と。」とありますが、ここは未来形で記されています。「喜び躍ろう」「歌おう」と、意志を込めた未来のことを語っています。現状としては主が報いてくださったと言える状況ではないけれども、神様が祈りを聞き届けてくださり、神様の報いを受けたと言える、そういう未来を望み見ている言葉として表されています。私のことを神様は見ていてくださり、神様からの示しを受ける自分がいる、その未来があることを確信して、喜び躍り、歌いますと話されているのです。
主イエスが私たちの苦しみのために生きられ、復活されたことを通して、私たちもまた神様からの希望を得て、永遠の命に生きていることが知らされています。このことを覚え、「わたしの心は御救いに喜び躍り、主に向かって歌います」と主に依り頼み、神様を賛美せずにはいられない者とされたいと願います。 丸茂 誠
2025年9月7日 第一主日礼拝
前 奏
招 き エレミヤ17:10
賛 美 讃美歌 544「あまつみたみも」
主の祈
交 読 交読詩編4編
賛 美 讃美歌 6「われら主をたたえまし」
祈 り
賛 美 讃美歌 365「わが主イエスよ」
聖 書 詩編7編1節~18節(「新共同訳」旧約839頁)
説 教 「あなたのもとに」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 517「われに来よと主は今」
献 金
聖餐式
賛 美 讃美歌 540「みめぐみあふるる」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
心とはらわたを調べる方
神は正しくいます。 ― 詩編7:10b
《本日(2025年9月7日)のメッセージ要約》詩編7編1~18節「あなたのもとに」
詩編7編は敵からの解放を願う祈りの言葉として綴られています。「わたしの神、主よ、あなたを避けどころとします。わたしを助け、追い迫る者から救ってください。」(2節)「あなたを避けどころとします。」との「あなたを」というのは「あなたの中に」という意味があり、また、「避けどころとする」とは、元々のニュアンスとして「悪天候を避ける、敵から逃れる」との意味があります。風雨が激しい悪天候の時、あるいは、捕食者に狙われている時、親鳥が雛を翼の下に庇い、自分の体を避けどころとして子どもを守るように、神様はご自分のもとに私を寄せてくださり、困難から守ってくださると、神様に対する信頼の言葉が述べられています。「心とはらわたを調べる方、神は正しくいます。」(10節)この言葉は神様こそ正しい方であるということを告白する言葉ですが、神様は正しいということのその理由として、神様は心とはらわたを調べる方であるとの認識が示されています。神様は外面的な事柄だけではなく、目には見えない部分をもご存知でおられる、だからこそ、自分が働きかけていくことによって自分の願いを完遂することによらず、すべてをご存知の神様に判断を任せていくということを思い、祈りを捧げたのでした。
神様の正しさは罪人の罪を自らに負った、その存在に向かいました。罪のない御子イエスに、すべての罪を背負わせることを通して、罪人を赦された、ここに神様の正しさが現れました。神様が私たちの痛みを負い、独り子イエスの命をもって私たちの罪を赦してくださった、この神様の存在に気づかされる時、神様の正しさに私は入れられていることを受け取ります。神様のもとに私がいる、この信仰をもって祈り、神様に応答していく者でありたいと願います。 丸茂 誠
2025年8月31日 第五主日礼拝
前 奏
招 き ゼカリヤ3:10
賛 美 讃美歌21 26「グロリア、グロリア、グロリア」
主の祈
交 読 交読詩編100編
賛 美 讃美歌21 57「ガリラヤの風かおる丘で」
祈 り
賛 美 讃美歌21 458「信仰こそ旅路を」
聖 書 創世記22章1節~17節(「新共同訳」旧約31頁)
説 教 「主は備えて下さる」 田所佳澄神学生
祈 り
賛 美 讃美歌21 461「みめぐみゆたけき」
献 金
賛 美 讃美歌21 28「み栄えあれや」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
希望はわたしたちを欺くことがありません。
わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛が わたしたちの心に注がれているからです。 ― ローマ5:5
2025年8月24日 第四主日礼拝
前 奏
招 き 箴言6:22
賛 美
主の祈 讃美歌 546「聖なるかな」
交 読 交読詩編134編
賛 美
祈 り 讃美歌 56「七日(なぬか)のたび路」
賛 美 讃美歌 525「めぐみふかき」
聖 書 ヨブ記37章14節~24節(「新共同訳」旧約825頁)
説 教 「今あなたといること」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 532「ひとたびは死にし身も」
献 金
賛 美 讃美歌 543「主イエスのめぐみよ」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
あなたのことを、耳にしてはおりました。
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。 ― ヨブ42:5
《本日(2025年8月24日)のメッセージ要約》ヨブ記37章14~24節「今あなたといること」
ヨブ記の32章から37章にかけては、エリフという人の言葉が記されています。エリフは全能の神様の御業を悟ることをヨブに投げかけました。神様の御業を語ることによって、人間がいかに無知であるか、それとは対照的に神様がいかに偉大な存在であるかを考えるようにと語ったのでした。ヨブは神様の御業が人には計りがたいものであることを知っていましたし、神様がなさることを悟っていないわけでもありませんでした。幸せをいただいたのなら、不幸をもいただこうではないかと考えていました。その中でヨブが苦悩したのは、正しさに生きていた自分がなぜ災いを受けたのかということでした。自分はどこにいたのか、神様は今どこにおられるのか、そのことに葛藤したヨブは、自分で理由を見出すのではなく、神様に判断を仰ぎました。
神様はヨブに答えられました。38章1節には「主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。」と記されています。苦しみの中にあったヨブに神様は現れ、ヨブは神様を仰ぎ見ていきました。ヨブ記42章5節にはこうあります。「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。」今、神様といるということをヨブは受け取っていったのでした。
苦しみのただ中にあっても、今、神様が共におられることを日々受け取って、信じていくことができますように、そしてこの幸いをまた一人へと伝えていくことができますようにと願います。 丸茂 誠
2025年8月17日 第三主日礼拝
前 奏
招 き エレミヤ17:7~8
賛 美
主の祈 讃美歌21 28「み栄えあれや」
交 読 交読詩編13編
賛 美 讃美歌21 505「歩ませてください」
祈 り
賛 美 讃美歌21 204「よろこびの日よ」
聖 書 ヨブ記31章1節~6節(「新共同訳」旧約814頁)
説 教 「正しさを求めて」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌21 504「主よ、み手もて」
献 金
賛 美 讃美歌21 25「父・子・聖霊に」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 ― マタイ6:33
《本日(2025年8月17日)のメッセージ要約》ヨブ記31章1~6節「正しさを求めて」
「上から神がくださる分は何か、高きにいます全能者のお与えになるものは何か。」(2節)とあり、ヨブの求めていたものは、神様が与えてくださる分、神様からの恵みにより歩むことができているということを見つめていくことでした。自分を律し、欲を避けて歩んでいくことによって自分を高めていくことではなく、また、自分を満たすために、いけにえを捧げ、神様を礼拝するということでもなく、神様が私を見てくれていることを思い、神様による慰めと希望、それによって自分が確立していることを覚え、悔い改めと感謝を捧げていました。それゆえ、自らの潔白を神様に知ってもらいたいと、その判断を神様に委ねたのでした。「不正を行う者には災いを、悪を行う者には外敵をお与えになるではないか。神はわたしの道を見張り、わたしの歩みをすべて数えておられるではないか。」(3節4節)ここには、友人たちが話した因果応報論が語られていますが、友人たちの主張と違う点は、ヨブは自分で決着をつけなかったということです。友人たちは応報思想に基づいて、神様の絶対を説き、ヨブには何らかの罪があると断定し、ヨブに悔い改めを迫りましたが、ヨブは自分のことを神様ご自身が裁かれると捉えました。無垢で正しく歩んでいたヨブにとって、災いが下ったことは、不可解で不条理なことでありました。しかし、神様が白黒をつけられる、なぜならば、神様はわたしの道を見張り、わたしの歩みをすべて数えておられるからだと話しました。ヨブは神様の正しさを求めたのでした。 丸茂 誠
2025年8月10日 第二主日礼拝
前 奏
招 き コロサイ1:19~20
賛 美 讃美歌 544「あまつみたみも」
主の祈
交 読 交読詩編33編
賛 美
祈 り 讃美歌 517「われに来よと主は今」
賛 美 讃美歌 312「いつくしみ深き」
聖 書 ヨブ記25章1節~6節(「新共同訳」旧約807頁)
説 教 「輝きの現れ」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌第二編 167「われをもすくいし」
献 金
賛 美 讃美歌 540「みめぐみあふるる」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
わたしたちは、この御子によって、贖い、
すなわち罪の赦しを得ているのです。 ― コロサイ1:14
《本日(2025年8月10日)のメッセージ要約》ヨブ記25章1~6節「輝きの現れ」
ビルダドは神様が星々を創造されたことを語り、神様の御もとにおいて、私たちの存在は確立しており、神様は絶対であることを説きました。その上で、被造物の実態を語り、人は神様の御前で正しくあり得ないのだと主張しました。その言葉は正論でありましたが、しかしヨブを助けるものとはなりませんでした。
星々の輝きを創造された神様は、主イエスによって慈しみの光を私たちにもたらされました。神様の栄光の輝きが御子イエスを通してこの世に現れたのです。主イエスは人間が抱える思い悩み、苦しみ、悲しみをご自分のものとされて歩まれました。不条理を突きつけられ、肉体的、精神的な暴力を受け、十字架にかけられ、人々の都合によって、その命は排除されました。ビルダドの言葉を借りれば「どうして、人が神の前に正しくありえよう。」(4節)とは全くその通りです。私たちは救い主を十字架につけてしまう者です。しかし、「その光はすべての人の上に昇る。」(3節)この言葉に私たちは主イエスの贖いの業を見て取ることができます。救い主イエスは、この世の苦しみに寄り添ってくださって、神様が共にいることを気づかせてくださいました。神様は主を通して私たちのことを、どのような時にも、どこにおいても導いてくださるということを知らせてくださったのです。主イエスの贖いの業に立って、私たちは自分の全存在を神様に委ね、歩んでいくことのできる幸いを知らされています。 丸茂 誠
2025年8月3日 第一主日礼拝
前 奏
招 き イザヤ57:15
賛 美 讃美歌 545「父の御神に」
主の祈
交 読 交読詩編62編
賛 美 讃美歌 19「みこえきくとて」
祈 り
賛 美 讃美歌 215「あしたのひかり」
聖 書 ヨブ記19章23節~27節(「新共同訳」旧約800頁)
説 教 「私の味方」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 239「さまよう人々」
献 金
聖餐式
賛 美 讃美歌 539「あめつちこぞりて」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
わたしは知っている
わたしを贖う方は生きておられ
ついには塵の上に立たれるであろう。 ― ヨブ19:25
《本日(2025年8月3日)のメッセージ要約》ヨブ記19章23~27節「私の味方」
ヨブは家族や財産を失い、自身は重い皮膚病に侵されている中で、自分が確かにここにいること、そのことを神様は知っていてくださる、天には私のための証人がおり、私を弁護してくださる方がおられると、心の目を神様に向けました。「わたしは知っている。わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。」(25節)ヨブは神様こそが自分の味方となってくださるのだと知っていました。「わたしは知っている」、これは単に知識として知っているということだけではなく、身をもって知っているということを表す言葉で、ヨブは神様との間に人格的な交わりがあるということを知っていました。神様との関係は一方的な事柄ではなく、相互に築かれている、神様がここから私を引き上げてくださるということをヨブは全存在をもって信じていたのです。「わたしは知っている」と語ったヨブですが、その確たる証拠というものはどこにもありませんでした。自分で目に見える証しを見つけることができたわけではなく、神様から確かなしるしを示されたのでもありませんでした。神様は目に見えないままでした。しかし目に見えないからこそ知っていました。それは、神様に自分を預けていた、信じていたということです。ヨブは神様を私の味方として仰ぎ見たのでした。
神様は御子イエスをこの世に遣わされ、主は塵の上に立ってくださいました。十字架で息を引き取り、墓に葬られ、死の闇に立ち、そこから復活の希望を示されました。神様の慈しみの御心を知らされ、私たちは神様を思い、神様との人格的な関係性に生きていくことができる、その幸いに招き入れられています。 丸茂 誠