礼拝次第・説教要約

2026年3月1日 レント第二主日礼拝

前 奏

招 き  イザヤ42:1

賛 美  讃美歌 540「みめぐみあふるる」

主の祈 

交 読  交読詩編62編

賛 美  讃美歌 6「われら主をたたえまし」

祈 り 

賛 美    讃美歌 136「血しおしたたる」

聖 書    マルコによる福音書15章1~15節(「新共同訳」新約94頁)

説 教   「声なき声」   丸茂 誠牧師

祈 り 

賛 美    讃美歌 269「つみの重荷を」

献   金

聖餐式

賛 美    讃美歌 543「主イエスのめぐみよ」

祝 祷 

後 奏

報 告

《今週の聖句》 

主をたたえよ

日々、わたしたちを担い、救われる神を。  ― 詩編68:20

《本日(2026年3月1日)のメッセージ要約》マルコ15章1~15節「声なき声」

   ピラトのもとで、祭司長たちがいろいろと主イエスを訴えましたが、主は何も答えず、その様子を見てピラトが「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」と問うたところ、やはり主は何も答えられませんでした。その態度がピラトには不思議に思えたようです。私たちの目に救い主の姿は不思議に映ります。神の子でありながらもこの世に人として誕生されたこと、罪なき立場でありながら罪を負い十字架につけられたこと、その救い主の姿は私たちの目には不思議に映ります。理不尽や不条理が数多ひしめくこの世界にあって救い主はここにいる、このことによって神様は慈しみの御心を明らかにされました。罪なき救い主が、私たちの声なき声を持つ立場に立たれました。救い主は、その言葉を持って、その行いをもって、その命をもって、十字架へと歩まれ、私たちの目には不思議に映る、この現実を体現されました。主イエスは十字架につけられていくこととなりました。その出来事は、主イエスが十字架にかかってくださった、と言える出来事であったと私たちは宣べ伝えます。主イエスが十字架にかかったことは不思議に映り、その出来事は、理不尽で、矛盾を感じざるをえなくて、むなしいものだったと捉えられます。また、自分にはふさわしくないのに、どうして主は自分の代わりに十字架にかかってくださったのかと引け目を感じ、私なんかのためにとの思いに駆られます。この私たちが抱える現実と共に救い主が存在します。主は私たちの現実で十字架にかかってくださった、このことを受け取り、神様が示された希望と平安を抱いて歩む者とされるのです。私たちの抱える声なき声と共に救い主は立ち、神様は御心を指し示してくださっています。主と共に、隣人と共に歩みましょう。 丸茂 誠

2026年2月22日 レント第一主日礼拝

前 奏

招 き  エレミヤ31:25

賛 美  讃美歌 539「あめつちこぞりて」

主の祈

交 読  交読詩編12編

賛 美  讃美歌 262「十字架のもとぞ」

祈 り 

賛 美    讃美歌 140「いのちのいのちに」

聖 書     マルコによる福音書14章53~65節(「新共同訳」新約93頁)

説 教  「救いの宣言」   丸茂 誠牧師

祈 り 

賛 美    讃美歌 391「ナルドの壺」

献   金

賛 美    讃美歌 543「主イエスのめぐみよ」

祝 祷 

後 奏

報 告

《今週の聖句》 

彼はその道にあって、大河から水を飲み

頭を高く上げる。        ― 詩編110:7

《本日(2026年2月22日)のメッセージ要約》マルコ14章53~65節「救いの宣言」

 主イエスは祭司長や律法学者、長老たちの遣わした者たちによって身柄を拘束され、大祭司の屋敷に連れて行かれました。そこには最高法院の議員たちが集まっていました。彼らの目的は、主イエスの死刑であり、取り調べは最初から主イエスに有罪をつきつけるためのものでした。彼らは自分たちの息のかかった証人たちを用意して、主イエスに不利な証言をさせました。しかし、その証言は食い違い、結局は有罪を確定することができませんでした。そのことは、人が主イエスを罪に定めることができなかったということを示します。人間が有罪を証明したことによって、主イエスが十字架に処せられることとなったのではないということが明らかにされました。すなわち、神様によって、また主自らによって、十字架につけられることとなったのでした。大祭司が「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と問うた時、主イエスは「そうです。」と答えられました。このことによって、有罪が確定することとなりました。主イエスを死刑にすべきだと決議したのは最高法院の人々でありましたが、実際には主イエス自らによって有罪が決定されることとなったのです。私たちのための救い主であるために、私たちの痛みと共におられる神様の存在を明らかにするために、救い主イエスは罪人となられました。罪のない方が罪人となることにおいて、神様が共におられることが明らかにされました。人間の側からの働きかけによってではなく、神様からの働きかけがもたらされている、このことによって私たちは信仰に歩む者とされます。神様の導きのもとレントを歩みます。 丸茂 誠