礼拝次第・説教要約

2026年5月10日 母の日・召天者記念礼拝

前 奏

招 き  ハバクク2:4

賛 美  讃美歌 546「聖なるかな」

主の祈 

交 読  交読詩編84編

賛 美  讃美歌第二編 26「ちいさなかごに」

祈 り 

賛 美    讃美歌21 385「花彩る春を」

聖 書    マタイによる福音書5章43~48節(「新共同訳」新約8頁)

説 教  「正しくいること」   丸茂 誠牧師

祈 り 

賛 美    讃美歌 461「主われを愛す」

献   金

賛 美    讃美歌 541「父、み子、みたまの」

祝 祷 

後 奏

報 告

《今週の聖句》 

父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。 ― マタイ5:45b

《本日(2026年5月10日)のメッセージ要約》マタイ5章43~48節「正しくいること」

 主イエスは、敵を愛し、自分を迫害する者のために祈ることを教えられました。「敵」は「自分を迫害する者」との言葉に表されていますが、自分と敵対する者、神様との関係から離れさせようとする存在、人との関わりを断ち切ろうとさせていく存在です。あるいは自分で自分を傷つけてしまうこと、自分自身のことです。敵対する者との関係から傷つけ、傷つけられてしまう、困難にあって自分の弱さに打ちのめされてしまう、そうした人間の苦しみに主イエスは心を寄せ、神様が愛してくださっている、このことに立ち帰っていくことへと導かれました。「自分が」という思いから解き放たれて、「神様が」との思いに満たされて、他者を受けとめていく者となること、自分自身を受けとめいく者となること、そのことを神様が望んでおられると伝えられたのです。

 主イエスはご自分を十字架にかけた人たちのために祈り、神様の正しさを示されました。正しいこととは何なのか、分からないことばかりの中で人は生きていますが、神様は主イエスによって、揺るがない正しさを明らかにしてくださいました。人の痛みをご自分の痛みとされる、この神様の正しさを知らされました。神様の正しさを受けとって私たちは、神様を愛する者、自分を愛する者、人を愛する者へと歩んでいくのです。先に召された方々のお一人お一人が神様の正しさを受け取り、神様と共にある恵みに満たされて歩まれたことを覚えます。そして天の御国においても、神様の傍らで慰めに満たされていることを思います。私たちもまた神様の正しさを覚え、神様の豊かな思いを分かち合うことのできる喜びを与えられていることに感謝し、神様をほめたたたいと願います。 丸茂 誠

2026年5月3日 第一主日礼拝

前 奏

招 き  イザヤ55:5

賛 美  讃美歌 544「あまつみたみも」

主の祈 

交 読  交読詩編111編

賛 美  讃美歌 217「あまつましみず」

祈 り 

賛 美    讃美歌 269「つみの重荷を」

聖 書    マタイによる福音書28章16~20節(「新共同訳」新約60頁)

説 教  「すべてにおいて」   丸茂 誠牧師

祈 り 

賛 美    讃美歌 496「うるわしの白百合」

献    金

聖餐式

賛 美    讃美歌 542「世をこぞりて」

祝 祷 

後 奏

報 告

《今週の聖句》 

わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。 ― マタイ28:20b

《本日(2026年5月3日)のメッセージ要約》マタイ28章16~20節「すべてにおいて」 

 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と復活された主イエスは話されました。主が共におられることは、神様が共におられることを表します。マタイによる福音書1章23節に書かれている言葉で「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」と記されています。神様は主イエスの存在を通して、私たちと共にいてくださっているということを明らかにされました。主の誕生の時、主の命が再び起こされた時、神様は私たちと共におられることが明らかにされました。そして、神様が共にいてくださるのは「世の終わりまでいつも」です。「世の終わりまでいつも」とは、「すべてにおいて」ということで、すべての時、すべての事柄において、神様は共におられ、弟子たちはすべての人を弟子にする歩みに踏み出していきました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」この御言葉を私たちもまた聞き、すべてにおいて共におられる主によって備えられた道のりを歩み、ここから踏み出していこうとしています。なぜ教会は存在するのでしょうか。なぜならば、すべての民を弟子にする、その主イエスからの委嘱があり、主に備えられた道のりを歩んだ人々によって神様の救いを知らされているからです。神様のもとで生きている、このことを知らされている恵みをすべての人と享受していきたいと願います。 丸茂 誠


2026年4月26日 第四主日礼拝

前 奏

招 き  ゼカリヤ2:15

賛 美  讃美歌 546「聖なるかな」

主の祈 

交 読  交読詩編121編

賛 美  讃美歌 154「地よ、声たかく」

祈 り 

賛 美    讃美歌 501「いのちのみことば」

聖 書    ルカによる福音書24章13~35節(「新共同訳」新約160頁)

説 教  「開かれた道」   丸茂 誠牧師

祈 り 

賛 美    讃美歌 453「きけや愛の言葉を」

献   金

賛 美    讃美歌 540「みめぐみあふるる」

祝 祷 

後 奏

報 告

《今週の聖句》 

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。

わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。  ― ヨハネ14:6

《本日(2026年4月26日)のメッセージ要約》ルカ24章13~35節「開かれた道」 

 二人の弟子はエルサレムを離れ、歩いていました。そこに復活された主イエスは訪れました。主は二人の弟子が、神様がなさることではなく、人間がすることの中に留まり、信じることができていなかったことを受けとめられました。そして聖書に書かれているご自分についてのことを解き明かし、神様が示されていることを伝えられました。御自分によって成し遂げられた神様の救いの業を教えられ、二人の弟子の心を神様に向き合うことへと導かれたのです。また、主イエスは夕食の席で、二人にパンを裂いてお渡しになりました。すると二人の弟子の目が開け、その人が主イエスだと分かりました。神様は私たちのために救い主イエスの十字架と復活を示され、私たちには想像することもできないご計画をもって私たちを導いておられる、このことを二人は受け取り、信じる者となったのです。

 主イエスの復活は神様に向かうものであり、神様に向き合うことができるということを私たちに示す出来事でした。二人は暗い顔のまま人間の業の中に留まり続ける道を歩んでいました。しかし、主イエスの復活が示され、二人は、私たちが向かっている先は権力者たちの大きな力に飲まれるほかないというような現実ではない、死という事柄に代表される恐れや絶望ではない、私たちが向かっている先は神様のもとであると受けとめることができたのです。神様に向き合うことができる、この奇跡を神様は主イエスの復活によってもたらされ、私たちは限りない神様の導きに自らを委ねることができる幸いを知らされています。日々神様に向き合う者とされ、新しく生かされて出発していきましょう。  丸茂 誠

2026年4月19日 第三主日礼拝

前 奏

招 き  詩編68:21

賛 美  讃美歌 545「父の御神に」

主の祈 

交 読  交読詩編26編

賛 美

祈 り  讃美歌 148「すくいのぬしは」

賛 美  讃美歌第二編 194「おおみ神をほめまつれ」

聖 書  ヨハネによる福音書20章11~18節(「新共同訳」新約209頁)

説 教  「未来に向かって」   丸茂 誠牧師

祈 り

賛 美    讃美歌 352「あめなるよろこび」

献   金

賛 美    讃美歌 542「世をこぞりて」

祝 祷 

後 奏

報 告

《今週の聖句》 

ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。    ― ヨハネ16:22

《本日(2026年4月19日)のメッセージ要約》ヨハネ20章11~18節「未来に向かって」 

 復活された主イエスはマグダラのマリアの名前を呼び、問いかけられました。主が私を訪れてくださり、心にかけ、問いかけてくださる、そのことで、私たちは主の復活の出来事を知らされ、主が共におられることを受けとめていく者となります。悲しみを深くしていたマリアは、主からの呼びかけにより、主が共におられることへと目を向けることができました。

 マリアは弟子たちのところへ行き、「わたしは主を見ました」と告げました。「主」というのは、神様を表す言葉です。マリアは主イエスを通して神様と向き合う者とされ、神様が示される道、その未来に向かって歩む人になったのだと証しされています。「わたしは主を見ました。」という言葉は、復活された主イエスとの出会いの事実を伝える言葉としてだけではなく、マリアの信仰告白でした。主が私を訪れてくださった、神様が私のこれからを指し示してくださった、このことを受け取ったマリアの信仰を告白する言葉でした。それは、神様に向かって発せられた言葉、自分の未来に向かって述べられた言葉であったのです。

 神様が救い主イエスによってもたしてくださった救いは、私たちの悲しみをご自分のものとされる救いでありました。主イエスは十字架と復活により、私たちの存在、私たちの思い、私たちの歩みに心を留め、日々共におられることを知らせてくださいました。救いを受け、私たちは「わたしは主を見ました」との信仰を告白する者とされます。神様に向かって、未来に向かって進み出します。  丸茂 誠

2026年4月12日 第二主日礼拝

前 奏

招 き  エレミヤ1:9

賛 美  讃美歌21 26「グロリア、グロリア、グロリア」

主の祈 

交 読  交読詩編65編

賛 美  讃美歌21 327「すべての民よ、よろこべ」

祈 り

賛 美  讃美歌21 459「飼い主わが主よ」

聖 書 マルコによる福音書16章9~20節(「新共同訳」新約97頁)

説 教 「与えられる言葉」  丸茂 誠牧師

祈 り 

賛 美    讃美歌21 575「球根の中には」

献   金

賛 美    讃美歌21 25「父・子・聖霊に」

祝 祷 

後 奏

報 告

《今週の聖句》 

言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 ― ヨハネ1:4

《本日(2026年4月12日)のメッセージ要約》マルコ16章9~20節「与えられる言葉」 

   マグダラのマリアは復活された主イエスとの出会いを人々に知らせましたが、人々は信じませんでした。また、主の弟子のうちの二人が復活の主イエスと出会い、残りの弟子たちに伝えましたが、弟子たちは二人の言うことを信じませんでした。復活された主イエスは弟子たちの前に現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになりました。主がおとがめになったのは「復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。」と語られています。それは、主イエスが弟子たちのこれからに思いを馳せていたためでした。主が捕らえられた時、主が復活されたことを知らされた時、弟子たちや女性たちは恐れを抱き、逃げ去ってしまいました。そうした過去のこと、主から離れてしまった罪を非難するために主イエスは復活されたのではなく、人々のこれからのために救い主の復活は示されたのだと明らかにされています。十字架の死という出来事だけでは人々の新しい歩み、教会の歩みは成り立ちませんでした。救い主の十字架の死と復活の命をもって信仰の歩みが成り立ったことを綴っています。恐れや後悔、死の終わりを見つめるほかなく、自分を主体として委ねられない、受け入れられない、信じられない、そのように心を閉ざしている私たちの顔を上げるために、顔を上へ向け、神様に向き合う者とさせるために主イエスは私たちのかたくなな心の扉をたたいてくださいます。主イエスの復活は私たちの今、私たちのこれからと関わる出来事としてもたらされました。主イエスは生きておられる、このことが示されたことは、私たちが生きているということと神様がどこまでも関わってくださり、共にいてくださることの表れであったのです。 丸茂 誠

2026年4月5日 イースター礼拝

前 奏

招 き  ホセア6:1~3

賛 美  讃美歌 544「あまつみたみも」

主の祈 

交 読  交読詩編98編

賛 美  讃美歌 147「よろこびたたえよ」

祈 り   

賛   美    讃美歌 54「よろこびの日よ」

聖 書    マルコによる福音書16章1~8節(「新共同訳」新約97頁)

説 教 「恐れを抱いても」   丸茂 誠牧師

祈 り 

賛 美   讃美歌 533「くしき主の光」

献   金

聖餐式

賛 美  讃美歌 543「主イエスのめぐみよ」

祝 祷

後 奏

報 告

《今週の聖句》 

永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。

 ― ヨハネ17:3

《本日(4/5)イースターのメッセージ要約》マルコ16章1~8節 「恐れを抱いても」 

 人は自己都合に生きて他者を排除してしまう、自らの至らなさや情けなさに打ちのめされて悲しみを抱える、そうした私たちのすべてを体現して、主イエスは十字架で息を引き取られました。精神的にも肉体的にも苛烈な暴力を受け、想像を絶する絶望に突き落とされました。その主イエスを神様は復活させられました。主の体は生きたものとなりました。主イエスの十字架の死と復活の命は、私たちの現実です。私たちは主イエスのように死して復活できるわけではなく、体をもってよみがえることはできません。しかし、たとえ理不尽にも命を奪われることがあっても、たとえ絶望の内に息を引き取ることがあっても、この私たちに神様は心を留められ、主イエスによって救いを見せてくださり、死の時も命ある時も神様は共におられる、神様はその存在を明らかにしてくださったのです。 丸茂 誠

2026年3月29日 棕櫚の主日礼拝

前 奏

招 き  イザヤ51:4

賛 美     讃美歌21 28「み栄えあれや」

主の祈

交 読     交読詩編130編

賛 美     讃美歌21 358「小羊をばほめたたえよ!」

祈 り

賛 美     讃美歌21 309「あがないの主に」

聖 書     マルコによる福音書15章33~47節(「新共同訳」新約96頁)

説 教    「信仰の言葉」  丸茂 誠牧師

祈 り 

賛 美     讃美歌21 430「とびらの外に」

献   金

賛 美     讃美歌21 25「父・子・聖霊に」

祝 祷 

後 奏

報 告

《今週の聖句》 

すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。 ― マルコ1:11

《本日(2026年3月29日)のメッセージ要約》マルコ15章33~47節「信仰の言葉」 

   自己中心的な思いに駆られ、他者を排除してしまうこと、どうしてなのか、なぜなのかと問わずにはいられないほどの理不尽な現実に立たされること、立ち直ることが容易ではない悔恨を抱えること、そこに主は共におられ、そこに神様からの救いはもたらされました。主を十字架につけたのが私たちの姿であれば、十字架につけられた主の姿もまた私たちの姿です。私たちは救い主イエスが磔にされた出来事が私にもたらされた出来事であったと受けとめる時、信仰の言葉を語り出す者となります。

 ローマ帝国の百人隊長は主イエスが息を引き取られた時、「本当に、この人は神の子だった」と言いました。百人隊長はローマ帝国の皇帝の称号である「神の子」という言葉を十字架で息を引き取った者に用いたのです。その告白は、この人こそが私たちを統べる方である、この人こそが私の主であると述べた信仰の言葉でありました。また、主イエスを見守っていた多くの女性たちは、主の十字架の死と埋葬、復活についての証人となって、信仰の言葉を語る者とされていきました。女性たちは主に起こった出来事を受けとめ、主がなされたことを伝えていくことへと遣わされていったのです。そしてヨセフは、勇気を出してピラトのところへ行き、主イエスの遺体を引き取りたいと願い出て、墓に埋葬していきました。その願い出は、ヨセフの信仰を告白するものでした。ヨセフは主が私の本当の王様であると信じ、神様に自らを委ねて行動したのでした。 

 目に見えることよりも目には見えない神様と向き合う中で、私たちは神様から示されたことに突き動かされ、主イエスが私の主であると、この信仰を告白する者とされます。  丸茂 誠

2026年3月22日 レント第五主日礼拝

前 奏

招 き  ヨエル3:3

賛 美  讃美歌 545「父の御神に」

主の祈 

交 読  交読詩編14編

賛 美  讃美歌 365「わが主イエスよ」

祈 り 

賛 美    讃美歌 495「イエスよ、この身を」

聖 書    マルコによる福音書15章16~32節(「新共同訳」新約95頁)

説 教   「十字架と救い主」   丸茂 誠牧師

祈 り 

賛 美    讃美歌第二編 185「カルバリ山の」

献   金

聖餐式

賛 美    讃美歌 539「あめつちこぞりて」

祝 祷 

後 奏

報 告

《今週の聖句》 

主はわたしを光に導かれ

わたしは主の恵みの御業を見る。  ― ミカ7:9b

《本日(2026年3月22日)のメッセージ要約》マルコ15章16~32節「十字架と救い主」

 ゴルゴタを通りがかった人々は、「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」と主を揶揄しました。またユダヤの宗教指導者たちは、「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう」と罵りました。弱く残酷な私たち人間の姿が明らかにされています。この私たちのために救い主イエスは十字架にかかってくださいました。私たちが自己中心的で暴力的である、私たちが理不尽な目にあい、痛みと悲しみを深くする、この苦しみを、この罪を神様はご自分のものとするべく救い主イエスを与えられました。それは、分かりにくいことかもしれません。神様なら私たちの悪を一掃するべく救い主を遣わして、勧善懲悪を成し遂げてくれたほうがとても分かりやすくて、納得できて、信じやすいでしょう。しかし、私たちの現実は分かりにくいことに満ちています。不条理と矛盾に満ちています。分かりにくいこと、納得できないこと、歯を食いしばって耐えなければならないこと、そうしたことが私たちの世界に満ちています。この私たちの現実に神様は共にいてくださる、それが神様が示された救いです。私たちが生きていることに寄り添ってくださり、心を痛めてくださり、慈しみを注いでくださる、それが神様です。私たちを強制的に支配する力をもっているのにその力を行使せず、私たちの痛みとどこまでも共にある、その救い主の姿、その神様の御心は私たちの目には分かりにくく映ります。しかし、この分かりにくいと思うところに、私たちのただ中に神様はいてくださるのです。 丸茂 誠

2026年3月15日 レント第四主日礼拝

前 奏

招 き  ナホム1:7

賛 美  讃美歌21 85「サント サント サント」

主の祈 

交 読  交読詩編43編

賛 美  讃美歌21 505「歩ませてください」

祈 り 

賛 美    讃美歌21 303「丘の上の主の十字架」

聖 書    コリントの信徒への手紙二 1章3~7節(「新共同訳」新約325頁)

説 教  「苦難は終わりではない」   ラサン ラアウン師

祈 り 

賛 美    讃美歌21 528「あなたの道を」

献   金

賛 美   讃美歌21 28「み栄えあれや」

祝 祷 

後 奏

報 告

《今週の聖句》 

わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、

慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。 ― Ⅱコリント1:3

2026年3月8日 レント第三主日礼拝

前 奏

招 き  エレミヤ31:3

賛 美  讃美歌 544「あまつみたみも」

主の祈 

交 読  交読詩編42編

賛 美  讃美歌 228「ガリラヤの風」

祈 り 

賛 美    讃美歌 420「世界のおさなる」

聖 書    創世記11章1~9節(「新共同訳」旧約13頁)

証         「分断」   古澤久仁彦さん

祈 り 

賛 美    讃美歌 506「たえなる愛かな」

献   金

賛 美    讃美歌 542「世をこぞりて」

終 祷 

後 奏

報 告

《今週の聖句》

 父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。

 ― ヨハネ17:21a

2026年3月1日 レント第二主日礼拝

前 奏

招 き  イザヤ42:1

賛 美  讃美歌 540「みめぐみあふるる」

主の祈 

交 読  交読詩編62編

賛 美  讃美歌 6「われら主をたたえまし」

祈 り 

賛 美    讃美歌 136「血しおしたたる」

聖 書    マルコによる福音書15章1~15節(「新共同訳」新約94頁)

説 教   「声なき声」   丸茂 誠牧師

祈 り 

賛 美    讃美歌 269「つみの重荷を」

献   金

聖餐式

賛 美    讃美歌 543「主イエスのめぐみよ」

祝 祷 

後 奏

報 告

《今週の聖句》 

主をたたえよ

日々、わたしたちを担い、救われる神を。  ― 詩編68:20

《本日(2026年3月1日)のメッセージ要約》マルコ15章1~15節「声なき声」

   ピラトのもとで、祭司長たちがいろいろと主イエスを訴えましたが、主は何も答えず、その様子を見てピラトが「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」と問うたところ、やはり主は何も答えられませんでした。その態度がピラトには不思議に思えたようです。私たちの目に救い主の姿は不思議に映ります。神の子でありながらもこの世に人として誕生されたこと、罪なき立場でありながら罪を負い十字架につけられたこと、その救い主の姿は私たちの目には不思議に映ります。理不尽や不条理が数多ひしめくこの世界にあって救い主はここにいる、このことによって神様は慈しみの御心を明らかにされました。罪なき救い主が、私たちの声なき声を持つ立場に立たれました。救い主は、その言葉を持って、その行いをもって、その命をもって、十字架へと歩まれ、私たちの目には不思議に映る、この現実を体現されました。主イエスは十字架につけられていくこととなりました。その出来事は、主イエスが十字架にかかってくださった、と言える出来事であったと私たちは宣べ伝えます。主イエスが十字架にかかったことは不思議に映り、その出来事は、理不尽で、矛盾を感じざるをえなくて、むなしいものだったと捉えられます。また、自分にはふさわしくないのに、どうして主は自分の代わりに十字架にかかってくださったのかと引け目を感じ、私なんかのためにとの思いに駆られます。この私たちが抱える現実と共に救い主が存在します。主は私たちの現実で十字架にかかってくださった、このことを受け取り、神様が示された希望と平安を抱いて歩む者とされるのです。私たちの抱える声なき声と共に救い主は立ち、神様は御心を指し示してくださっています。主と共に、隣人と共に歩みましょう。 丸茂 誠

2026年2月22日 レント第一主日礼拝

前 奏

招 き  エレミヤ31:25

賛 美  讃美歌 539「あめつちこぞりて」

主の祈

交 読  交読詩編12編

賛 美  讃美歌 262「十字架のもとぞ」

祈 り 

賛 美    讃美歌 140「いのちのいのちに」

聖 書     マルコによる福音書14章53~65節(「新共同訳」新約93頁)

説 教  「救いの宣言」   丸茂 誠牧師

祈 り 

賛 美    讃美歌 391「ナルドの壺」

献   金

賛 美    讃美歌 543「主イエスのめぐみよ」

祝 祷 

後 奏

報 告

《今週の聖句》 

彼はその道にあって、大河から水を飲み

頭を高く上げる。        ― 詩編110:7

《本日(2026年2月22日)のメッセージ要約》マルコ14章53~65節「救いの宣言」

 主イエスは祭司長や律法学者、長老たちの遣わした者たちによって身柄を拘束され、大祭司の屋敷に連れて行かれました。そこには最高法院の議員たちが集まっていました。彼らの目的は、主イエスの死刑であり、取り調べは最初から主イエスに有罪をつきつけるためのものでした。彼らは自分たちの息のかかった証人たちを用意して、主イエスに不利な証言をさせました。しかし、その証言は食い違い、結局は有罪を確定することができませんでした。そのことは、人が主イエスを罪に定めることができなかったということを示します。人間が有罪を証明したことによって、主イエスが十字架に処せられることとなったのではないということが明らかにされました。すなわち、神様によって、また主自らによって、十字架につけられることとなったのでした。大祭司が「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と問うた時、主イエスは「そうです。」と答えられました。このことによって、有罪が確定することとなりました。主イエスを死刑にすべきだと決議したのは最高法院の人々でありましたが、実際には主イエス自らによって有罪が決定されることとなったのです。私たちのための救い主であるために、私たちの痛みと共におられる神様の存在を明らかにするために、救い主イエスは罪人となられました。罪のない方が罪人となることにおいて、神様が共におられることが明らかにされました。人間の側からの働きかけによってではなく、神様からの働きかけがもたらされている、このことによって私たちは信仰に歩む者とされます。神様の導きのもとレントを歩みます。 丸茂 誠