礼拝次第・説教要約
2025年7月20日 第三主日礼拝
前 奏
招 き ヨエル2:18
賛 美 讃美歌 546「聖なるかな」
主の祈
交 読 交読詩編111編
賛 美 讃美歌 508「主よ、日に日に」
祈 り
賛 美 讃美歌 257「十字架のうえに」
聖 書 マタイによる福音書6章1節~8節(「新共同訳」新約9頁)
お 話 「隠れて居なさい」 古澤久仁彦さん
祈 り
賛 美 讃美歌 310「しずけきいのりの」
献 金
賛 美 讃美歌 539「あめつちこぞりて」
終 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。 ― マタイ6:4b
2025年7月13日 第二主日礼拝
前 奏
招 き イザヤ54:10
賛 美 讃美歌21 28「み栄えあれや」
主の祈
交 読 交読詩編61編
賛 美 讃美歌21 6「つくりぬしを賛美します」
祈 り
賛 美 讃美歌21 482「わが主イエス いとうるわし」
聖 書 ヨブ記1章1節~5節(「新共同訳」旧約775頁)
説 教 「神様を賛美する理由」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌21 531「主イエスこそわが望み」
献 金
賛 美 讃美歌21 25「父・子・聖霊に」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
わたしは裸で母の胎を出た。
裸でそこに帰ろう。
主は与え、主は奪う。
主の御名はほめたたえられよ。 ― ヨブ1:21
《本日(2025年7月13日)のメッセージ要約》ヨブ記1章1~5節「神様を賛美する理由」
ヨブは突如として、子どもたちや財産を失いましたが、自分が抱く思いを神様に打ち明け、神様に相対しました。神様を非難することなく、罪を犯しませんでした。この出来事は主が示されたことだと示し、「主の御名はほめたたえられよ」と神様を賛美しました。どのようなことがあっても神様にまっすぐでいられるのか、このことがヨブ記を通して私たちに投げかけられています。不都合や不条理によって、私たちは神様に心を向けることができず、神様から離れてしまう罪を抱えるのではないでしょうか。神様から引き離そうとする力に翻弄されて、人は自分の力で立ち続けることができません。その苦しみを神様はご存知で、御子イエスをこの世に送られ、主イエスが共におられることを通して私たちを起き上がらせてくださいました。「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」(ヘブライ人への手紙4章15節16節) 「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」(ローマの信徒への手紙8章26節) 神様と主イエスと聖霊の存在によって、私たちは悲しみと喜びが神様によって一つに結び合わされている、このことに気づかされます。主の御名をほめたたえる歩みが備えられています。共に歩み出していきましょう。 丸茂 誠
2025年7月6日 第一主日礼拝
前 奏
招 き エレミヤ9:22~23
賛 美 讃美歌 545「父の御神に」
主の祈
交 読 交読詩編4編
賛 美 讃美歌 27「とこ世につきせぬ」
祈 り
賛 美 讃美歌 67「よろずのもの」
聖 書 エステル記5章9節~14節(「新共同訳」旧約768頁)
説 教 「目に見えないもの」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 270「信仰こそ旅路を」
献 金
聖餐式
賛 美 讃美歌 540「みめぐみあふるる」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。
見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。 ― Ⅱコリント4:18
《本日(2025年7月6日)のメッセージ要約》エステル5章9~14節「目に見えないもの」
私たちはハマンであり、モルデカイであり、エステルです。ハマンやその息子たちがつけられた高い柱は主イエスがかかられた十字架を想起させます。高い柱に人を追いやって嘲笑しようとする姿、しかし、自らが立てた高い柱に自らがつけられることとなり、自業自得で罰を受ける姿、あるいは、 神様に忠実で、信仰を持っていても、自分たちの民族のためにはと報復し、罪のない息子たちまでも高い柱につけていく容赦ない姿、どれも私たち人間の姿です。自分を容認するために、自分たちを守るために、私たちは人を十字架につけていきます。主イエスは私に代わって高い柱にかかってくださいました。その姿を見て、人は勝ち誇ります。自分を守ることができた、これで安心できると、自分の平和を得ることができたと思うのです。主イエスの十字架と復活によって、私たちは自分が主を十字架にかける者であること、自分が十字架にかけられる者であることを知らされて、どうしてなのか、なぜなのかを越えて、それでもなお神様が私のことを心にかけていてくださるということを受け取ります。神様は主イエスを通して平和をもたらされました。二つのものが一つになる、その平和が明らかにされました。私たちが罰を受けるのではなく、私たちが罪を償うのでもなく、主イエスが私に代わって敵意を受けられることを通して、神様は私たちの苦しみ、痛みを引き受けてくださいました。神様の御心に生きることができる、その人間の本来の姿を神様は主イエスによって私たちに示してくださいました。神様の御心のうちに私たちの歩みは備えられています。そのことを喜びをもって受けとめ、歩みます。 丸茂 誠
2025年6月29日 創立75周年記念礼拝
前 奏
招 き イザヤ43:12
賛 美 讃美歌21 26「グロリア、グロリア、グロリア」
主の祈
交 読 交読詩編121編
賛 美 讃美歌21 18「心を高くあげよ!」
祈 り
賛 美 「ちいさなたね」
聖 書 マルコによる福音書4章1節~9節(「新共同訳」新約66頁)
説 教 「芽生えを信じて」 渡邊さゆり師
祈 り
賛 美 讃美歌21 412「昔 主イエスの」
献 金
賛 美 讃美歌21 25「父・子・聖霊に」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。 ― マタイ28:20b
2025年6月22日 第四主日礼拝
前 奏
招 き 創世記28:15
賛 美 讃美歌 546「聖なるかな」
主の祈
交 読 交読詩編85編
賛 美 讃美歌 9「ちからの主を」
祈 り
賛 美 讃美歌 183「主のみたま」
聖 書 エフェソの信徒への手紙2章11節~22節(「新共同訳」新約354頁)
説 教 「わたしたちの平和」 25年度年間主題 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 531「こころの緒琴に」
献 金
賛 美 讃美歌 542「世をこぞりて」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
実に、キリストはわたしたちの平和であります。 ― エフェソ2:14a
《本日(2025年6月22日)のメッセージ要約》エフェソ2章11~22節「わたしたちの平和」
平和ではない状態のことを14節の言葉の中では「敵意という隔ての壁」と表現されています。エフェソ教会では、ユダヤ人と異邦人の関係性においての敵意、壁がありましたが、「敵意という隔ての壁」というものを私たちは築いてしまう者であることを思わされます。自分が自分をどう思うかにおいて、自分と他者との関係性において、私たちは隔ての壁を構築して、自分を容認する、自分を守ろうとする、そのために敵対し、壁を作ってしまいます。私たちの敵意というものに対して、神様は御子の命を私たちに与え、御自身が痛みを負うことを通して、敵意という隔ての壁を取り壊されました。私たちの敵意による苦しみや悲しみを自らの身に引き受けられて、主イエスは十字架にかかられました。主イエスはユダヤ人によって捕らえられ、ローマ人の手によって十字架につけられました。支配を受ける側のユダヤ人と支配する側のローマ人が一つとなって、主の命を奪いました。権力者たちが自己保身のために罪なき一人の存在を排除した、そこに彼らの平和がありました。しかし、実を言うと、そこに神様の平和が示されました。救い主を十字架につける敵意、不都合や不条理に向き合うことができず、痛みや辛さを抱える私たちのすべてを引き受けて、主イエスは十字架にかかられ、神様は御子イエスの十字架を通して私たちを心にかけていてくださることを示されました。だからこそ「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」と証しするのです。二つのものを一つにする、その平和を示す主の十字架が掲げられている教会において、私たちは神様の慈しみを証しします。すべての人にとってキリストは平和である、このことを思い起こし、主を証ししていきましょう。 丸茂 誠
2025年6月15日 第三主日礼拝
前 奏
招 き ローマ8:14
賛 美 讃美歌21 85「サント、サント、サント」
主の祈
交 読 交読詩編19編
賛 美 讃美歌21 351「聖なる聖なる」
祈 り
賛 美 讃美歌21 475「あめなるよろこび」
聖 書 ヨハネによる福音書16章5節~15節(「新共同訳」新約200頁)
説 教 「明らかにして」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌21 516「主の招く声が」
献 金
賛 美 讃美歌21 28「み栄えあれや」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
あなたは、命に至る道をわたしに示し、
御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。 ― 使徒2:28
《本日(2025年6月15日)のメッセージ要約》ヨハネ16章5~15節「明らかにして」
「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。…。」(7節)。「ためになる」とは「好都合となる」という意味で、同じ言葉が18章14節にも記されています。「一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった。」(18章14節)自分の利益のためには他者の命を利用し、奪っていくことも厭わない、そうした人間の姿とは対照的に主イエスはご自分のことではなく、私たちのことを心にかけて「ためになる」と話されました。しかも、ご自分が命を引き取ることを通して、私たちに好都合を与えられました。権力者は、イエスを排除することが自分たちにとって好都合だと考え、主を十字架へと追いやることに成功しました。しかし、実を言うと、主の十字架の死によって、神様の御心が実現することになりました。私たちの罪や苦しみを引き受けて、主イエスは十字架にかかられ、神様は御子イエスの十字架を通して私たちを心にかけてくださいました。そして、主の復活を通しても、肉体の死をも越えて、私たちが神様と共にある平安に生きているということを明らかにしてくださいました。その真理を聖霊は私たちに告げ、主の救いに生きる者として下さっています。聖霊は永遠に私たちと共にあって、私たちを後押しし、主の言葉を、主の十字架と復活の出来事を思い起こさせるのです。 丸茂 誠
2025年6月8日 ペンテコステ礼拝
前 奏
招 き マラキ3:17
賛 美 讃美歌21 26「グロリア、グロリア、グロリア」
主の祈
交 読 交読詩編138編
賛 美 讃美歌21 17「聖なる主の美しさと」
祈 り
賛 美 讃美歌21 343「聖霊よ、降りて」
聖 書 ヨハネによる福音書14章25節~31節(「新共同訳」新約197頁)
説 教 「思い起こす」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌21 564「イエスは委ねられる」
献 金
賛 美 讃美歌21 25「父・子・聖霊に」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
神よ、わたしの内に清い心を創造し、
新しく確かな霊を授けてください。 ― 詩編51:12
《本日(2025年6月8日)のメッセージ要約》ヨハネ14章25~31節「思い起こす」
「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(26節) 聖霊は私たちを思い起こす者とするということ、そのことを主イエスは教えてくださいました。「思い起こす」というのは、忘れていたことを思い出す、過去のことを再認識するということだけでなく、かつて語られた主イエスの言葉が今私に語られている、今主イエスの言葉として聴くということを示します。聖霊は、人の記憶に働きかけて、ただ思い出させるというよりも、人の存在そのものに働きかけて、人を主のうちに生きる者とさせるのです。聖霊によって私たちは主イエスの御言葉を今自分に語られている言葉であると受けとめ、主と共に歩んでいく者となります。私たちは心を騒がせ、おびえ、神様から遠ざかり、主を見失い、自分を肯定することができず、他者とも良い関係性を築くことができない者ですが、しかし聖霊が今私たちの内に働いて下さっていて、主イエスによる救いを聞かせ、分からせ、主と共に生きる者として下さるので、私たちは互いに愛し合う者とさせられていきます。永遠に一緒にいてくださる聖霊により、私たちは御言葉を聴くことへ、神様の御業を語ることへと進み出ていきます。主と共に生き、共に主を証しし、歩んでいきましょう。 丸茂 誠
2025年6月1日 第一主日礼拝
前 奏
招 き 使徒1:8
賛 美 讃美歌 544「あまつみたみも」
主の祈
交 読 交読詩編20編
賛 美 讃美歌 465「うれしき朝よ」
祈 り
賛 美 讃美歌 90「ここもかみの」
聖 書 ヨハネによる福音書14章15節~24節(「新共同訳」新約197頁)
説 教 「一緒に」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌第二編 192「シャロンの花」
献 金
聖餐式
賛 美 讃美歌 543「主イエスのめぐみよ」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと 一緒にいるようにしてくださる。 ― ヨハネ14:16b
《本日(2025年6月1日)のメッセージ要約》ヨハネ14章15~24節「一緒に」
主イエスの復活から40日目、主は天に上げられました。弟子たちは主イエスが天に上げられた後も、主を愛し、主の掟を守っていきました。主イエスをこの目で見たことのない世代の人々は主を愛し、主の掟を守り続け、私たちもまた信仰を継承しています。信仰が受け継がれ、伝道の歩みがつながってきたのはどうしてでしょうか。その答えが 16節に記されています。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」。天に上げられ、弟子たちのもとを去ったあと、父である神様のもとへ行ったなら、別の弁護者を遣わすということを父にお願いしようと主イエスは話されました。「弁護者」は、あなたを助けるために隣に寄り添う存在のことで、聖霊のことを表しています。主イエスは「別の弁護者」と言われていて、御自分のことも弁護者であるので、別の弁護者と言い表しています。主イエスは人を助けるためにこの世に誕生され、人と共にあって、神様の慈しみと希望を示されました。今度は別の弁護者である聖霊が私たちを助けるためにこの世に与えられ、私たちと共にあって、慈しみと希望を示される、そしてその聖霊は「永遠にあなたがたと一緒にいる」と主イエスは明らかにされました。永遠に一緒におられる聖霊によって、信仰者は主を愛し、主の言葉に生きてきました。神様は主イエスを通して、私たちと共にいるとの喜びを知らせてくださいました。その喜びは聖霊によって、今も私たちにもたらされていて、私たちは日々、神様の慈しみと希望の中を歩み続けていくのです。 丸茂 誠
2025年5月25日 第四主日礼拝
前 奏
招 き 箴言3:3
賛 美 讃美歌 546「聖なるかな」
主の祈
交 読 交読詩編47編
賛 美 讃美歌第二編 59「すべてのもの統らすかみよ」
祈 り
賛 美 讃美歌 158「あめには御使(みつかい)」
聖 書 ヨハネによる福音書20章30節~31節(「新共同訳」新約210頁)
説 教 「心にあなたを」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 215「あしたのひかり」
献 金
賛 美 讃美歌 542「世をこぞりて」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、
信じてイエスの名により命を受けるためである。 ― ヨハネ20:31
《本日(2025年5月25日)のメッセージ要約》ヨハネ20章30~31節「心にあなたを」
今日与えられた聖書箇所には、ヨハネによる福音書の執筆の目的が記されています。「イエスは神の子メシアであると信じる」、この言葉で決定的なのは「イエス」という名前が記されていることです。イエスこそが神の子で、この世に遣わされた救い主である、この信仰を告白して、証ししているのは、あなたがたが信じるため、あなたがたが信仰の歩みへと踏み出すためであると表されています。「イエス」の名前が明示されている、それゆえに、イエスこそが私の救い主であると信じた時、イエスの名により命を受けると明らかにされています。イエスが救い主であると信じて命を受けること、それは、神様を知り、主イエスを知り、永遠の命に生きる者とされるということです。肉体は息を引き取るものであるけれども、命はいつまでもなくならず、命はいつも神様のもとに存在します。主イエスを信じる時、自分が永遠の命に生きている者であることを受け取るのです。私は消えない命に生きている、いつも神様と共にある、このことを福音書を読んだ一人一人が受け取って、このことに生きるためにヨハネによる福音書は執筆されたということを記しています。私たちは「イエスは神の子メシアであると信じる」この信仰を告白する者とされ、「信じてイエスの名による命」を受け、神様と共にある平安のうちに生きる幸いを与えられています。主イエスこそ救い主であると信じ、日々永遠の命に生きていることを受けとって、信仰を証しし歩んでいきましょう。 丸茂 誠
2025年5月18日 第三主日礼拝
前 奏
招 き 詩編118:22~23
賛 美 讃美歌 539「あめつちこぞりて」
主の祈
交 読 交読詩編84編
賛 美 讃美歌 217「あまつましみず」
祈 り
賛 美 讃美歌 506「たえなる愛かな」
聖 書 ヨハネによる福音書20章24節~29節(「新共同訳」新約210頁)
説 教 「信じられないからこそ」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 275「つよき神の子」
献 金
賛 美 讃美歌 543「主イエスのめぐみよ」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 ― ヨハネ20:18
《本日(2025年5月18日)のメッセージ要約》ヨハネ20章24~29節「信じられないからこそ」
主イエスが復活された日から八日目、トマスが弟子たちと一緒に家の中にいたところ、主イエスは来られました。トマスは弟子たちの証言を受け入れず、実際に主イエスの体を見たり、触れたりしなければ信じないと考えていました。自分が納得しなければ自分の考えは変わらないとして、自分が自分の主で、主導権は自分にあると考えていたのです。主イエスは復活されたご自分の体を示し、「信じない者ではなく信じる者になりなさい」と言われました。「信じる者になること」、そのために十字架にかかり、死して葬られ、復活された、このことを伝えるため主イエスは復活された体を示されました。体が蘇ったこと自体を信じてもらうために主イエスはトマスに対面されたのではありませんでした。私は十字架にかかり、私は復活した、それはあなたが信じる者になるためであるのだと主イエスは伝えられたのです。主イエスはご自分の体の傷跡を、トマスの罪の結果であったとして、責めるために示されたのではありませんでした。目に見えることを求め、信じることができない私たちに、目には見えない神様の存在、その慈しみの御心を示してくださり、信じる者とするために、十字架と復活を示されたのでした。ヨハネによる福音書は執筆の目的をこう記しています。「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(20:31)この信仰をトマスに与えるために、主イエスは十字架と復活を示されたのでした。丸茂 誠
2025年5月11日 召天者記念礼拝
前 奏
招 き 哀歌3:22
賛 美 讃美歌 545「父の御神に」
主の祈
交 読 交読詩編23編
賛 美 讃美歌第二編 26「ちいさなかごに」
祈 り
賛 美 讃美歌21 385「花彩る春を」
聖 書 ヨハネによる福音書11章17節~27節(「新共同訳」新約189頁)
説 教 「続く命」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌21 575「球根の中には」
献 金
賛 美 讃美歌 405「かみともにいまして」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
神はすべてを時宜にかなうように造り、また、
永遠を思う心を人に与えられる。 ― コヘレト3:11a
《本日(2025年5月11日)のメッセージ要約》ヨハネ11章17~27節「続く命」
主イエスは、愛する者を失い、悲しんでいる人のところに来てくださいました。17節の言葉です。「さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。」「イエスが行って御覧になると」という言葉には、ラザロが墓に支配されている、その現実を見つめたという意味が込められています。墓に所有されている、死の支配の中に捕えられている、そうした現実を主イエスはご覧になられました。命あるものが迎える死というもの、その死を通して寂しさや悲しみを抱えるということ、その深層を主イエスは見つめ、私たちが生きる現実のただ中に来られました。主イエスは「わたしは復活であり、命である」と告げて下さり、死を越えて存在する命について明らかにされました。
私たちは肉体の死を越えて生きる命、決して死ぬことがない命が与えられていることを知らされています。命の行き着く先は死や闇ではありません。いつも神様のもとに命は存在します。主イエスは、私たちのために十字架で息を引き取り、墓に葬られました。死に捕らわれても、神様とのつながりは絶たれない、そのことが復活によって示されました。主イエスが示されたことを受け入れ、主を信じるとき、私たちもまた神様とのつながりが絶たれることはなく、神様のもとに命は存在することを知らされます。召された方々は天の神様のもとで続く命に生きておられます。命の在りかが違っていても、親しい交わりが絶えることはありません。私たちは神様のもとにある命に生きていて、召された方々と再会することができる希望を知らされています。 丸茂 誠