礼拝次第・説教要約
2025年11月16日 第三主日礼拝
前 奏
招 き ヨハネ15:16
賛 美 讃美歌21 28「み栄えあれや」
主の祈
交 読 交読詩編91編
賛 美 讃美歌21 55「人となりたる神のことば」
祈 り
賛 美 讃美歌21 405「すべての人に」
聖 書 詩編67編1節~8節(「新共同訳」旧約899頁)
説 教 「すべての人と」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌21 464「ほめたたえよう」
献 金
賛 美 讃美歌21 25「父・子・聖霊に」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
あなたの道をこの地が知り
御救いをすべての民が知るために。 ― 詩編67:3
《本日(2025年11月16日)のメッセージ要約》詩編67編1~8節「すべての人と」
「神がわたしたちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように」(2節)神様が御顔の輝きを私たちに向けられるということは、私たちのもとで神様の御顔が輝かせられる、私たちの間で神様の存在が明らかにされるということで、私たちが神様の輝きに与ることができますようにとの願いが込められています。神様が私たちに心を留められ、味方になっていてくださる、それによって、私たちも共に神様の栄光に輝くことができて、神様の輝きを映し出す者とされるようにと願っています。2節に続く3節で「あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。」と続いていることから、神様をこそ求め、神様に信頼する思いはさることながら、すべての人が神様を知り、すべての人と一緒に神様の恵みに与っていることを覚えて、共に神様の輝きを受けていることを喜ぶことができますようにとの意味合いを感じるところです。神様の御顔の光が自分たちを通してすべての人に向かうことを願っているのです。
「あなたの道」(3節)を神様は御子イエスによって私たちに示してくださいました。神様と共にあること、神様のもとに私が存在すること、その道にいることを、私たちは主イエスを通して知らされています。神様から与えられていることをすべての人と分かち合い、神様に応答し、神様と共に歩む歩みへと踏み出していきましょう。地の果てに至るまで、神様は一人一人に御顔を向け、眼差しを注がれ、祝福しておられます。 丸茂 誠
2025年11月9日 第二主日礼拝
前 奏
招 き マタイ1:21
賛 美 讃美歌 544「あまつみたみも」
主の祈
交 読 交読詩編130編
賛 美 讃美歌 19「みこえきくとて」
祈 り
賛 美 讃美歌 234A「昔主イエスの」
聖 書 詩編61編1節~9節(「新共同訳」旧約894頁)
説 教 「地の果て」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌第二編 185「カルバリ山の」
献 金
聖餐式
賛 美 讃美歌 540「みめぐみあふるる」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
心が挫けるとき
地の果てからあなたを呼びます。 ― 詩編61:3a
《本日(2025年11月9日)のメッセージ要約》詩編61編1~9節「地の果て」
「心が挫けるとき、地の果てからあなたを呼びます。高くそびえる岩山の上に、わたしを導いてください。」(3節) 「高くそびえる岩山の上」は、敵の手が及ばない安全な場所を指し、そこに私を引き上げて守ってくださいと神様に願い出ています。安全な場所へは自分の力で到達することができません。「高くそびえる岩山」とは、「私を越えて高い岩山」ということで、高くて登れない岩山、自分の力の及ばないところを示します。岩山の上に立つためには、神様に依り頼むほかないということが見つめられています。神様が私の避けどころであり、力強い塔であり、また神様のもとで私は休むことができ、神様の翼の下だけが私の安心できるところであると、そのように神様に信頼し、神様に心を寄せているのです。
私たちにとって「高くそびえる岩山の上」は、主イエスが十字架につけられたゴルゴタの丘の上のこと、主の十字架です。主イエスは神様から見放されたと孤独を感じる人の痛みを担い、人から暴力と嘲りを受け、理不尽にも命を奪われる悲しみをその身に負われました。私たちの現実、この地の果てに来られ、心が挫け、衰え果て、萎え果てる思いをご自分のものとされ、十字架にかかられたのでした。私たちは「高くそびえる岩山の上」に誘われました。救い主イエスの十字架によって私たちは自分の力では決して到達することができなかった安らぎを得ることとなりました。この地の果てに十字架が立てられたこと、ここに神様がおられること、神様が私と共にいてくださっていることが知らされたのです。 丸茂 誠
2025年11月2日 第一主日礼拝
前 奏
招 き エレミヤ17:7
賛 美 讃美歌 539「あめつちこぞりて」
主の祈
交 読 交読詩編16編
賛 美 讃美歌 310「しずけきいのりの」
祈 り
賛 美 讃美歌 399「なやむものよ」
聖 書 詩編55編1節~9節(「新共同訳」旧約887頁)
説 教 「あなたの支え」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 515「十字架の血に」
献 金
聖餐式
賛 美 讃美歌 542「世をこぞりて」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
あなたの重荷を主にゆだねよ
主はあなたを支えてくださる。 ― 詩編55:23a
《本日(2025年11月2日)のメッセージ要約》詩編55編1~9節「あなたの支え」
「わたしは言います。『鳩の翼がわたしにあれば/飛び去って、宿を求め/はるかに遠く逃れて/荒れ野で夜を過ごすことができるのに。烈しい風と嵐を避け/急いで身を隠すことができるのに。』」(7~9節)苦しみや重荷を抱える中で、この場から逃げ去りたい、静かに身を隠したい、そのことを切望しています。しかし、翼はなく、逃げ出すことができない現実が横たわっていました。そのような中で詩人は神様に心を向けていました。苦しみから逃れたいと吐露したその言葉の奥底にも神様に心を向ける姿勢があったことを伺い知らされます。「荒れ野」は環境としてはとても過酷な場所で、誰の保護も受けられない場所ですが、しかしそこが逃れ場であると告白する時、孤独で不毛な場所であるからこそ、神様だけが頼りになる場所であるとの認識があります。「鳩の翼があれば」と語って、白昼夢を見ているかのようでいても、現実の苦しみのその中で、目には見えない神様のもとに身を寄せ、神様のもとに生きているということを覚えているのです。
主イエスは、苦しみをその身に負われました。時の指導者たちの都合によって排除され、十字架につけられました。弟子たちの裏切りにもあいました。しかし神様に御自分を委ね、私たちのために十字架にかかられました。弱さや恐れを抱えていても、主イエスによって示された神様の赦しのもと、私たちは自分や他者を赦し、受け入れていくことができます。神様に重荷を委ねる時、罪赦された者として自分が存在することの平安に満たされます。神様の赦しと支えのもとに生きていることに安心と喜びを見い出して歩みましょう。 丸茂 誠
2025年10月26日 第四主日礼拝
前 奏
招 き ナホム1:7
賛 美 讃美歌 544「あまつみたみも」
主の祈
交 読 交読詩編67編
賛 美 讃美歌 67「よろずのもの」
祈 り
賛 美 讃美歌 242「なやむものよ」
聖 書 詩編49編1節~21節(「新共同訳」旧約881頁)
説 教 「受け入れられて」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 355「主を仰ぎ見れば」
献 金
賛 美 讃美歌 540「みめぐみあふるる」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
しかし、神はわたしの魂を贖い
陰府の手から取り上げてくださる。― 詩編49:16
《本日(2025年10月26日)のメッセージ要約》詩編49編1~21節「受け入れられて」
49編で歌われている内容は、人が持つ財産や名誉などといったものが死の力の前には無力であることを告げる教訓の詩であり、しかしそこに神様の知恵や英知に思いを馳せ、神様の導きに頼ることを歌った神様への賛美となっています。「魂を贖う値は高く、とこしえに、払い終えることはない。」(9節)この言葉は「死を迎えた人の生命をお金で取り戻すことは誰にもできない」ということを述べていますが、それはつまり、命が神様に端を発するものであるということを告白しています。「贖う」という言葉は「買い戻す」という元々の意味がありますが、私たちの命は代価を払ってそれを買い戻すことはできません。しかしだからこそ、人間の存在の根幹には神様がおられるということに注目しています。「しかし、神はわたしの魂を贖い、陰府の手から取り上げてくださる。」(16節)どのような時も神様のもとに私は存在するのだと言い表されています。
誰も支払うことのできない命の代価というものは、神様のみ払うことが可能です。神様はご自身の独り子イエスをもって、私たちを贖ってくださいました。御子イエスが私たちのための救い主として十字架にかかられ、私の代わりに痛みを負ってくださったことで、私たちは死んでも死なない命が与えられていることに気づかされました。救い主でありながらも敵意と嘲りを受け、理不尽に命を奪われた主イエスでした。しかし、神様は主イエスの命を贖い、十字架の死からの復活によって陰府の手から取り上げられました。神様は主イエスを通して私たちに命の在りかを知らせてくださいました。 どのような時も、どこにあっても、命は神様のもとにあり、神様は私を受け入れてくださる、この幸いに生きる者であることを知らされたのです。 丸茂 誠
2025年10月12日 第二主日礼拝
前 奏
招 き Ⅱコリント4:6
賛 美 讃美歌21 28「み栄えあれや」
主の祈
交 読 交読詩編138編
賛 美 讃美歌21 411「うたがい迷いの」
祈 り
賛 美 讃美歌21 531「主イエスこそわが望み」
聖 書 詩編43編1節~5節(「新共同訳」旧約876頁)
説 教 「あなたの光」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌21 509「光の子になるため」
献 金
賛 美 讃美歌21 25「父・子・聖霊に」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
起きよ、光を放て。
あなたを照らす光は昇り
主の栄光はあなたの上に輝く。 ― イザヤ60:1
《本日(2025年10月19日)のメッセージ要約》詩編43編1~5節「あなたの光」
「あなたの光とまことを遣わしてください。」(3節)「光」は、物理的な光を意味すると共に、神様の御顔の輝きを表し、神様の祝福を示します。「まこと」は、 「真実」という意味ですが、神様の揺らぐことのない不変性、救いの確かさというものを表しています。神様は変わることなく私を捕らえておられ、私の命は神様によって導かれている、このことに信頼を寄せている中で、神様をこそ求めています。いかに暗く、確かなことを見据えることができずとも、暗闇が立ち込めているからこそ、自分にとって確かなことを捉えようとしていくのではなく、目には見えない神様の存在に心の目を向けていくのです。なぜならば、神様は私を祝福し、いついかなる時にも私の命をその御手の内に引き寄せてくださる方であるからです。
神様は私たちに「光とまこと」をお遣わしくださいました。御子イエスです。主イエスの十字架と復活によって、私たちは神様の御顔を仰ぐことができるようにされました。人の罪は主イエスに対して極まりました。人々は救い主を排除し、十字架につけてしまいました。神様に心の目を向けていくことができず、主イエスの命を自分の手中に収めて、自分の持ち物のようにしたのです。しかし、そのような私たちの罪ある姿を神様はすべてご存知で、主イエスもまた神様の不変の御心に生きられ、私たちを信仰者の姿へと新しく造り変えてくださいました。イエスこそがわたしの救い主、わたしの主であると知らされ、神様に心の目を向けていくことの幸い、希望を持つことのできる歩みへと導かれました。神様からの光とまことを日々受け取って歩みます。 丸茂 誠
2025年10月12日 第二主日礼拝
前 奏
招 き マタイ5:6
賛 美 讃美歌21 85「サント サント サント」
主の祈
交 読 交読詩編126編
賛 美 讃美歌21 363「み神の力は」
祈 り
お 話 「生きる」戸出朋子さん
賛 美 讃美歌21 575「球根の中には」
聖 書 詩編37編1節~6節(「新共同訳」旧約868頁)
ショートメッセージ(代読)「喜びとする」
祈 り
賛 美 讃美歌21 127「み恵みあふれる」
献 金
賛 美 讃美歌21 26「グロリア、グロリア、グロリア」
終 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
そのとき、あなたは主を喜びとする。 ― イザヤ58:14a
《本日(2025年10月12日)のメッセージ要約》詩編37編1~6節「喜びとする」
詩の作者は、苦境にある人々に向かって、別の道を示しています。その道とは神様を信頼する道です。4節にある「ゆだねよ」という言葉は「喜びとする」という意味の言葉で、神様を自分の喜びとするということを表しています。また、5節の「まかせよ」との言葉は自分を神様に明け渡すことを言い表しています。自分を任せられる安心の中でこそ喜びがあるので、神様を自分の喜びとするようにと呼びかけています。闇に覆われてしまう時にも、自分が神様の輝きを受けている者であることに依り頼んで歩むことができ、なにものにも奪われない平安を抱くことができるのです。
「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」(ヨハネ15章11節)主イエスは神様に愛されている喜びを抱いておられました。神様を喜びとする、このことを主イエスは十字架と復活をもって、私たちにもたらしてくださいました。主の十字架と復活によって、独り子を与えてくださった神様の慈しみが明らかにされ、私たちは神様と共にあることに信頼して、安心して、喜びの実を結んでいく者とされました。神様をこそ喜びとして歩みます。 丸茂 誠
2025年10月5日 第一主日礼拝
前 奏
招 き ヨハネ1:16~17
賛 美 讃美歌 545「父の御神に」
主の祈
交 読 交読詩編93編
賛 美 讃美歌 90「ここもかみの 」
祈 り
賛 美 讃美歌 12「めぐみゆたけき主を」
聖 書 詩編31編1節~9節(「新共同訳」旧約860頁)
説 教 「委ねることができるのは」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 259「あめなる主イエスの」
献 金
聖餐式
賛 美 讃美歌 542「世をこぞりて」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。
わたしを贖ってください。 ― 詩編31:6
《本日(2025年10月5日)のメッセージ要約》詩編31編1~9節「委ねることができるのは」
「まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしを贖ってください。」(6節)この言葉は神様への全き信頼を告白する言葉です。「霊」というのは「息、呼吸」という意味で、わたしの存在そのものを示します。自分の息を委ねることのできる相手を知っている、それは「まことの神、主」であると表されています。自分の命を司っているのは主であるということを見つめ、自分を委ねることができるのは自分を造られた神様ゆえであると言い表しています。「まこと」という言葉は「真実、確かさ」を表す言葉ですが、神様は永遠に真実で、偽りなく確かに共におられる方であると証しする言葉です。いつも真実を持ち合わせ、確かな御言葉の実現を果たされる神様のそのまことのゆえに、私は呼吸し、神様の息遣いに合わせて、私の呼吸は成り立っている、私のすべては神様にかかっているのだと述べられているのです。
また、「わたしを贖ってください」との言葉が意味しているところは、私のすべては神様にかかっているということです。今までと今と今から、すべての時、すべてにおいて、私は贖われてきたし、贖われ、そしてこれからも神様の贖いによって立っていくということを示しています。神様だけが私を贖うことができる方で、ただ神様の憐れみによって、私は救い出され、神様のもとに身を寄せるのであると認識しています。目に見える事柄は苦しみでしかなく、真実を見失いかねない中、恐れと不安にさいなまれる中にあっても、神様の真実に基づいて祈りを捧げ、神様の贖いのゆえに確かな希望を持ち、祈りが捧げられたことを思わされます。 丸茂 誠
2025年9月28日 第四主日礼拝
前 奏
招 き ヨハネ14:6
賛 美 讃美歌 546「聖なるかな」
主の祈
交 読 交読詩編61編
賛 美 讃美歌 79「ほめたたえよ、つくりぬしを」
祈 り
賛 美 讃美歌 344「とらえたまえ、わが身を」
聖 書 詩編25編1節~22節(「新共同訳」旧約855頁)
説 教 「道がある」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 522「みちにゆきくれし」
献 金
賛 美 讃美歌 543「主イエスのめぐみよ」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
主よ、あなたの道をわたしに示し
あなたに従う道を教えてください。― 詩編25:4
《本日(2025年9月28日)のメッセージ要約》詩編25編1~22節「道がある」
この詩には「道」という言葉が印象的に用いられています。道は、行き来する場所、目的地に向かって通過するところを表しますが、そこに「従う」「選ぶべき」などの形容詞がつくと、道そのものが意味のあるものとなり、生きることに欠かすことのできないもののことを表します。「主よ、あなたの道をわたしに示し、あなたに従う道を教えてください。」(4節)とありますが、主と共に生きるということが私の今を形づくっていることを思い、いつも神様に心を向けて歩んでいくこと、そのことを願う言葉となっています。神様の導きがなければ今生きてはおらず、このようにして祈ることもできていない、それゆえ「あなたのまことにわたしを導いてください。教えてください、あなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。」と告白したのでした。その言葉は、自分が主の道から外れて歩んでしまうものであることを打ち明ける言葉でもあります。かつての罪と背き、今もなお罪深い自分自身の姿を覚える、そのことを痛切に感じているからこそ、神様に心を高く上げ、神様に自らを打ち明けているのです。苦難を強いてくる敵を取り除いてほしいということよりも、自分が神様のもとへと通じる道に日々立ち帰って歩むことができるようにと、自分を神様に捧げ、祈ったのでした。
主イエスは話されました。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネによる福音書14章6節)主の道がある、そこにおいてイエスこそが私の主であるとの真理を得、私は神様のもとで永遠の命に生きていると知らされる、そのことへと主イエスは私たちを招いてくださいます。 丸茂 誠
2025年9月21日 第三主日礼拝
前 奏
招 き Ⅱコリント4:6
賛 美 讃美歌21 26「グロリア、グロリア、グロリア」
主の祈
交 読 交読詩編85篇
賛 美 讃美歌21 17「聖なる主の美しさと」
祈 り
賛 美 讃美歌21 502「光のある間に」
聖 書 詩編19編1節~15節(「新共同訳」旧約850頁)
説 教 「星の声」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌21 516「主の招く声が」
献 金
賛 美 讃美歌21 28「み栄えあれや」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
天は神の栄光を物語り
大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え
夜は夜に知識を送る。 ― 詩編19:2,3
《本日(2025年9月21日)のメッセージ要約》詩編19編1~15節「星の声」
8節からのところには「主の律法」、「主の定め」、「主の命令」、「主の戒め」と記されていまして、律法のことを様々な言葉で言い換えていますが、その言葉はどれも、神様の言葉、神様からの教えを示す言葉として表されています。8節には「主の律法は完全で」とありますが、主の律法が完全であるのは、それが主の言葉であるからです。神様の御言葉によって天地が創造されたゆえに、神様からの語りかけによって私たちは存在している、神様の言葉で満たされているということを告白しています。神様の言葉によって生きている、このことを受け取るとき、詩の作者は気づかされたことがあったようです。13節14節です。「知らずに犯した過ち、隠れた罪から、どうかわたしを清めてください。あなたの僕を驕りから引き離し、支配されないようにしてください。そうすれば、重い背きの罪から清められ、わたしは完全になるでしょう。」自分が自分の主であると思い、己を中心に物事を図っていく、そうした「知らずに犯した過ち、隠れた罪」に気づかされつつ、完全になることを神様に委ね、祈り求めています。「完全になる」というのは、神様の言葉で満たされる、ということを示します。自らの力によって人格の完全性や罪のない状態を目指すのではなく、神様によって与えられるところにある状態を望む言葉です。そのことが15節では「主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ」と表されています。過ちや罪から自由になれない私のことを、神様は贖い、自由を与えてくださる、このことを見つめ、神様をこそ求め、神様に依り頼む言葉として「わたしは完全になるでしょう」と告白されています。神様の言葉に満たされて完全になること、そのことを祈り求めた言葉が捧げられているのです。 丸茂 誠
2025年9月14日 第二主日礼拝
前 奏
招 き イザヤ42:6
賛 美 讃美歌 539「あめつちこぞりて」
主の祈
交 読 交読詩編47編
賛 美 讃美歌 7「主のみいつとみさかえとを」
祈 り
賛 美 讃美歌 421「み神のみむねは」
聖 書 詩編13編1節~6節(「新共同訳」旧約844頁)
説 教 「わたしの心は」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 352「あめなるよろこび」
献 金
賛 美 讃美歌 542「世をこぞりて」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
あなたの慈しみに依り頼みます。
わたしの心は御救いに喜び躍り
主に向かって歌います。
「主はわたしに報いてくださった」と。― 詩編13:6
《本日(2025年9月14日)のメッセージ要約》詩編13編1~6節「わたしの心は」
詩編13編は、救いを求める祈りの詩となっています。 祈りは神様への信頼と希望を寄せる言葉をもって結ばれています。神様への信頼は「あなたの慈しみに依り頼みます」という言葉に言い表されます。どのようなことがあっても、誰が何と言っても、私は神様が愛してくれることを信じました、そのように告白されています。困難の中で神様に忘れられ、見捨てられたかもしれないと思ってしまう中にあっても、神様のもとに私は存在し、神様だけが私に光を与えてくださる方にほかならないのだから、神様に依り頼むのであると述べられています。その上で、続く言葉に「わたしの心は御救いに喜び躍り、主に向かって歌います『主はわたしに報いてくださった』と。」とありますが、ここは未来形で記されています。「喜び躍ろう」「歌おう」と、意志を込めた未来のことを語っています。現状としては主が報いてくださったと言える状況ではないけれども、神様が祈りを聞き届けてくださり、神様の報いを受けたと言える、そういう未来を望み見ている言葉として表されています。私のことを神様は見ていてくださり、神様からの示しを受ける自分がいる、その未来があることを確信して、喜び躍り、歌いますと話されているのです。
主イエスが私たちの苦しみのために生きられ、復活されたことを通して、私たちもまた神様からの希望を得て、永遠の命に生きていることが知らされています。このことを覚え、「わたしの心は御救いに喜び躍り、主に向かって歌います」と主に依り頼み、神様を賛美せずにはいられない者とされたいと願います。 丸茂 誠
2025年9月7日 第一主日礼拝
前 奏
招 き エレミヤ17:10
賛 美 讃美歌 544「あまつみたみも」
主の祈
交 読 交読詩編4編
賛 美 讃美歌 6「われら主をたたえまし」
祈 り
賛 美 讃美歌 365「わが主イエスよ」
聖 書 詩編7編1節~18節(「新共同訳」旧約839頁)
説 教 「あなたのもとに」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 517「われに来よと主は今」
献 金
聖餐式
賛 美 讃美歌 540「みめぐみあふるる」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
心とはらわたを調べる方
神は正しくいます。 ― 詩編7:10b
《本日(2025年9月7日)のメッセージ要約》詩編7編1~18節「あなたのもとに」
詩編7編は敵からの解放を願う祈りの言葉として綴られています。「わたしの神、主よ、あなたを避けどころとします。わたしを助け、追い迫る者から救ってください。」(2節)「あなたを避けどころとします。」との「あなたを」というのは「あなたの中に」という意味があり、また、「避けどころとする」とは、元々のニュアンスとして「悪天候を避ける、敵から逃れる」との意味があります。風雨が激しい悪天候の時、あるいは、捕食者に狙われている時、親鳥が雛を翼の下に庇い、自分の体を避けどころとして子どもを守るように、神様はご自分のもとに私を寄せてくださり、困難から守ってくださると、神様に対する信頼の言葉が述べられています。「心とはらわたを調べる方、神は正しくいます。」(10節)この言葉は神様こそ正しい方であるということを告白する言葉ですが、神様は正しいということのその理由として、神様は心とはらわたを調べる方であるとの認識が示されています。神様は外面的な事柄だけではなく、目には見えない部分をもご存知でおられる、だからこそ、自分が働きかけていくことによって自分の願いを完遂することによらず、すべてをご存知の神様に判断を任せていくということを思い、祈りを捧げたのでした。
神様の正しさは罪人の罪を自らに負った、その存在に向かいました。罪のない御子イエスに、すべての罪を背負わせることを通して、罪人を赦された、ここに神様の正しさが現れました。神様が私たちの痛みを負い、独り子イエスの命をもって私たちの罪を赦してくださった、この神様の存在に気づかされる時、神様の正しさに私は入れられていることを受け取ります。神様のもとに私がいる、この信仰をもって祈り、神様に応答していく者でありたいと願います。 丸茂 誠
2025年8月31日 第五主日礼拝
前 奏
招 き ゼカリヤ3:10
賛 美 讃美歌21 26「グロリア、グロリア、グロリア」
主の祈
交 読 交読詩編100編
賛 美 讃美歌21 57「ガリラヤの風かおる丘で」
祈 り
賛 美 讃美歌21 458「信仰こそ旅路を」
聖 書 創世記22章1節~17節(「新共同訳」旧約31頁)
説 教 「主は備えて下さる」 田所佳澄神学生
祈 り
賛 美 讃美歌21 461「みめぐみゆたけき」
献 金
賛 美 讃美歌21 28「み栄えあれや」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
希望はわたしたちを欺くことがありません。
わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛が わたしたちの心に注がれているからです。 ― ローマ5:5
2025年8月24日 第四主日礼拝
前 奏
招 き 箴言6:22
賛 美
主の祈 讃美歌 546「聖なるかな」
交 読 交読詩編134編
賛 美
祈 り 讃美歌 56「七日(なぬか)のたび路」
賛 美 讃美歌 525「めぐみふかき」
聖 書 ヨブ記37章14節~24節(「新共同訳」旧約825頁)
説 教 「今あなたといること」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 532「ひとたびは死にし身も」
献 金
賛 美 讃美歌 543「主イエスのめぐみよ」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
あなたのことを、耳にしてはおりました。
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。 ― ヨブ42:5
《本日(2025年8月24日)のメッセージ要約》ヨブ記37章14~24節「今あなたといること」
ヨブ記の32章から37章にかけては、エリフという人の言葉が記されています。エリフは全能の神様の御業を悟ることをヨブに投げかけました。神様の御業を語ることによって、人間がいかに無知であるか、それとは対照的に神様がいかに偉大な存在であるかを考えるようにと語ったのでした。ヨブは神様の御業が人には計りがたいものであることを知っていましたし、神様がなさることを悟っていないわけでもありませんでした。幸せをいただいたのなら、不幸をもいただこうではないかと考えていました。その中でヨブが苦悩したのは、正しさに生きていた自分がなぜ災いを受けたのかということでした。自分はどこにいたのか、神様は今どこにおられるのか、そのことに葛藤したヨブは、自分で理由を見出すのではなく、神様に判断を仰ぎました。
神様はヨブに答えられました。38章1節には「主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。」と記されています。苦しみの中にあったヨブに神様は現れ、ヨブは神様を仰ぎ見ていきました。ヨブ記42章5節にはこうあります。「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。」今、神様といるということをヨブは受け取っていったのでした。
苦しみのただ中にあっても、今、神様が共におられることを日々受け取って、信じていくことができますように、そしてこの幸いをまた一人へと伝えていくことができますようにと願います。 丸茂 誠
2025年8月17日 第三主日礼拝
前 奏
招 き エレミヤ17:7~8
賛 美
主の祈 讃美歌21 28「み栄えあれや」
交 読 交読詩編13編
賛 美 讃美歌21 505「歩ませてください」
祈 り
賛 美 讃美歌21 204「よろこびの日よ」
聖 書 ヨブ記31章1節~6節(「新共同訳」旧約814頁)
説 教 「正しさを求めて」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌21 504「主よ、み手もて」
献 金
賛 美 讃美歌21 25「父・子・聖霊に」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 ― マタイ6:33
《本日(2025年8月17日)のメッセージ要約》ヨブ記31章1~6節「正しさを求めて」
「上から神がくださる分は何か、高きにいます全能者のお与えになるものは何か。」(2節)とあり、ヨブの求めていたものは、神様が与えてくださる分、神様からの恵みにより歩むことができているということを見つめていくことでした。自分を律し、欲を避けて歩んでいくことによって自分を高めていくことではなく、また、自分を満たすために、いけにえを捧げ、神様を礼拝するということでもなく、神様が私を見てくれていることを思い、神様による慰めと希望、それによって自分が確立していることを覚え、悔い改めと感謝を捧げていました。それゆえ、自らの潔白を神様に知ってもらいたいと、その判断を神様に委ねたのでした。「不正を行う者には災いを、悪を行う者には外敵をお与えになるではないか。神はわたしの道を見張り、わたしの歩みをすべて数えておられるではないか。」(3節4節)ここには、友人たちが話した因果応報論が語られていますが、友人たちの主張と違う点は、ヨブは自分で決着をつけなかったということです。友人たちは応報思想に基づいて、神様の絶対を説き、ヨブには何らかの罪があると断定し、ヨブに悔い改めを迫りましたが、ヨブは自分のことを神様ご自身が裁かれると捉えました。無垢で正しく歩んでいたヨブにとって、災いが下ったことは、不可解で不条理なことでありました。しかし、神様が白黒をつけられる、なぜならば、神様はわたしの道を見張り、わたしの歩みをすべて数えておられるからだと話しました。ヨブは神様の正しさを求めたのでした。 丸茂 誠
2025年8月10日 第二主日礼拝
前 奏
招 き コロサイ1:19~20
賛 美 讃美歌 544「あまつみたみも」
主の祈
交 読 交読詩編33編
賛 美
祈 り 讃美歌 517「われに来よと主は今」
賛 美 讃美歌 312「いつくしみ深き」
聖 書 ヨブ記25章1節~6節(「新共同訳」旧約807頁)
説 教 「輝きの現れ」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌第二編 167「われをもすくいし」
献 金
賛 美 讃美歌 540「みめぐみあふるる」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
わたしたちは、この御子によって、贖い、
すなわち罪の赦しを得ているのです。 ― コロサイ1:14
《本日(2025年8月10日)のメッセージ要約》ヨブ記25章1~6節「輝きの現れ」
ビルダドは神様が星々を創造されたことを語り、神様の御もとにおいて、私たちの存在は確立しており、神様は絶対であることを説きました。その上で、被造物の実態を語り、人は神様の御前で正しくあり得ないのだと主張しました。その言葉は正論でありましたが、しかしヨブを助けるものとはなりませんでした。
星々の輝きを創造された神様は、主イエスによって慈しみの光を私たちにもたらされました。神様の栄光の輝きが御子イエスを通してこの世に現れたのです。主イエスは人間が抱える思い悩み、苦しみ、悲しみをご自分のものとされて歩まれました。不条理を突きつけられ、肉体的、精神的な暴力を受け、十字架にかけられ、人々の都合によって、その命は排除されました。ビルダドの言葉を借りれば「どうして、人が神の前に正しくありえよう。」(4節)とは全くその通りです。私たちは救い主を十字架につけてしまう者です。しかし、「その光はすべての人の上に昇る。」(3節)この言葉に私たちは主イエスの贖いの業を見て取ることができます。救い主イエスは、この世の苦しみに寄り添ってくださって、神様が共にいることを気づかせてくださいました。神様は主を通して私たちのことを、どのような時にも、どこにおいても導いてくださるということを知らせてくださったのです。主イエスの贖いの業に立って、私たちは自分の全存在を神様に委ね、歩んでいくことのできる幸いを知らされています。 丸茂 誠
2025年8月3日 第一主日礼拝
前 奏
招 き イザヤ57:15
賛 美 讃美歌 545「父の御神に」
主の祈
交 読 交読詩編62編
賛 美 讃美歌 19「みこえきくとて」
祈 り
賛 美 讃美歌 215「あしたのひかり」
聖 書 ヨブ記19章23節~27節(「新共同訳」旧約800頁)
説 教 「私の味方」 丸茂 誠牧師
祈 り
賛 美 讃美歌 239「さまよう人々」
献 金
聖餐式
賛 美 讃美歌 539「あめつちこぞりて」
祝 祷
後 奏
報 告
《今週の聖句》
わたしは知っている
わたしを贖う方は生きておられ
ついには塵の上に立たれるであろう。 ― ヨブ19:25
《本日(2025年8月3日)のメッセージ要約》ヨブ記19章23~27節「私の味方」
ヨブは家族や財産を失い、自身は重い皮膚病に侵されている中で、自分が確かにここにいること、そのことを神様は知っていてくださる、天には私のための証人がおり、私を弁護してくださる方がおられると、心の目を神様に向けました。「わたしは知っている。わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。」(25節)ヨブは神様こそが自分の味方となってくださるのだと知っていました。「わたしは知っている」、これは単に知識として知っているということだけではなく、身をもって知っているということを表す言葉で、ヨブは神様との間に人格的な交わりがあるということを知っていました。神様との関係は一方的な事柄ではなく、相互に築かれている、神様がここから私を引き上げてくださるということをヨブは全存在をもって信じていたのです。「わたしは知っている」と語ったヨブですが、その確たる証拠というものはどこにもありませんでした。自分で目に見える証しを見つけることができたわけではなく、神様から確かなしるしを示されたのでもありませんでした。神様は目に見えないままでした。しかし目に見えないからこそ知っていました。それは、神様に自分を預けていた、信じていたということです。ヨブは神様を私の味方として仰ぎ見たのでした。
神様は御子イエスをこの世に遣わされ、主は塵の上に立ってくださいました。十字架で息を引き取り、墓に葬られ、死の闇に立ち、そこから復活の希望を示されました。神様の慈しみの御心を知らされ、私たちは神様を思い、神様との人格的な関係性に生きていくことができる、その幸いに招き入れられています。 丸茂 誠